年賀状はおめでたい新年のご挨拶であるため、一般的に喪中の方に出すのは遠慮した方がいいとされています。しかし、喪中の連絡はどこまでしたらいいのか、喪中の連絡をもらったらどうしたらいいのかについては、知らない人も多いのではないでしょうか? そこで、今回は喪中の側、喪中はがきをもらった側、両方の側面から、喪中はがきのマナーについてご紹介します。

【年賀状】範囲は?マナーは?喪中のすべてを徹底解説!

【1】祖父母が亡くなった!年賀状を遠慮する喪中はがきはどこまで出せばいい?

身内に不幸があった場合、何親等までが喪中の範囲になるのか、また誰に喪中はがきを出せばいいのか、迷う人も多いでしょう。一般的には、喪中はがきを出すのは2親等以内の家族が亡くなった場合とされています。

ただし、喪中はがきは比較的新しい風習で「これがマナー」と言えるものがまだ確立しておらず、個人の判断に任されている部分が多いと言えます。そのため、夫や妻の祖父母や同居していない祖父母が亡くなった場合には出さないという人もいます。出すべきか悩んだときは、身内の年長者に相談するといいでしょう。

また、喪中はがきは毎年年賀状を送っている人、もらっている人に出すのが一般的ですが、これも人によって考えが違います。最近ではプライベートと仕事を分けて考える人も増えているため、身内に不幸があった場合にも故人と面識がない取引先には例年通り年賀状を送るという人も多くいます。

さらに、故人を知っている身内にも、逆に故人と全く面識のない友人等にも喪中はがきは送らないという人もいますが、基本的には故人と面識のある人や関わりの深い人には喪中はがきを送り、ほとんど関わり合いのない人には出さないのが一般的です。

喪中はがきは、11月中から遅くても12月の初旬、相手方が年賀状の準備を始める前に出すようにしましょう。これは亡くなったのがその年の前半でも、後半でも同じです。

喪中はがきは正式には「年賀状欠礼状」といい、「喪中のため新年のご挨拶ができなくて申し訳ありません」という挨拶状です。本来は、喪中側から挨拶ができないというだけで「年賀状を送らないでください」という意味ではありません。そのため、正式には相手方の年賀状の準備とは関係なく、喪中はがきは年内に届けばいいとされています。

しかし、「喪中の家には年賀状を出さない」というルールが一般化してきているため、相手が年賀状の準備を始める前に出すのです。

もし、結婚などの祝い事や引っ越しなどが喪中と重なった場合、喪中はがきとそれ以外の挨拶状は分けて出します。喪中はがきはあくまで年賀状を出せない旨を伝えるためのものなので、それ以外の挨拶は別のはがきで改めて出すようにしましょう。

一方、喪中に年賀状を受け取った場合ですが、受け取ること自体はマナー違反ではありません。もし通常通り年賀状を受け取りたければ、喪中はがきにその旨を一言添えておくといいでしょう。このような場合、喪中はがきを受け取った側は「年賀状」ではなく「年始状」と書くなど、「賀」という祝いの言葉を避けて書くことが望ましいです。

喪中にもらった年賀状の返事を出す場合は、1月8日以降に「寒中見舞い」を出すのが一般的です。このとき、相手方はこちらが喪中であることを知らずに年賀状をくれた場合には、喪中の連絡ができなかったことをお詫びしておきましょう。

【2】喪中はがきをもらったら、年賀状はどうしたらいい?

では、喪中はがきをもらった側は、どうすればいいのでしょうか? 一般的に、喪中はがきをもらった場合、年賀状は遠慮するものとされています。

故人の喪に服している最中に、おめでたい挨拶である年賀状を送るのは不謹慎です。喪中はがきをもらった場合は、遺族の気持ちを考えて全く返信をしないか、「年始状」「寒中見舞い」「喪中見舞い」など年賀状に代わるものを送ります。

「年始状」とは、年賀状によくある「あけましておめでとうございます」や「謹賀新年」などのお祝いの言葉を控えたものです。「謹賀新年」の代わりに「一陽来復」など「悪いことのあとに必ずいいことがある」という意味の言葉を使う人もいるようです。故人の冥福を祈る文章などを書き添えてもいいでしょう。出す時期は、年賀状と同じで構いません。

「寒中見舞い」は、1月8日以降に送る挨拶状です。1月7日までは「松の内」といって新年のおめでたい時期にあたるため、寒中見舞いは松の内が明けた1月8日以降に出すものとされています。なお、寒中見舞いを送る場合には、遅くとも2月初旬頃までに届くように出しましょう。

最後の「喪中見舞い」ですが、これは喪中はがきを出した相手に対して、故人を悼むお手紙を送るものです。近年では線香やお花といった、御礼のいらない贈り物を送る人も増えています。喪中見舞いを贈る場合は、喪中はがきをもらってからすぐに出すのが礼儀です。

ただし、前述のとおり喪中はがきは「喪中のため新年のご挨拶ができません」というだけで、「年賀状を送らないでください」という意味ではありません。年賀状はお祝いであるため、喪中の家にとっては不謹慎ですが、あえておめでたい挨拶で遺族を励ますという考えもあります。

実際に喪中を経験したことがある人には、「年賀状をもらえなくて寂しかった」と感じる人や、「喪中でも年賀状をもらうと嬉しい」と感じる人もいます。喪中はがきに「年始状を楽しみにしています」「例年通りに近況をお知らせください」などの一文が添えられている場合には、お祝いを意味する「賀」や「おめでとう」の言葉を控えた年賀状を送っても問題ないでしょう。

【3】年賀状の遠慮はどう伝える?喪中はがきの書き方

喪中はがきを書く場合には、まず「喪中のため新年のご挨拶ができません」という挨拶文を書き、次に「誰が、いつ、何歳で亡くなったのか」と「故人が生前お世話になったことへのお礼」を書き添えます。

【年賀状】範囲は?マナーは?喪中のすべてを徹底解説!

故人の年齢は満年齢ではなく、数え年で表記しましょう。数え年とは、生まれた時点を1歳とし、元旦が来るたびに1歳ずつ年齢を増やしていくカウントの方法です。数え年は、その年の誕生日を迎えずに亡くなった場合には満年齢にプラス2歳、誕生日を迎えて亡くなっている場合には満年齢にプラス1歳すれば算出できます。

なお、喪中はがきの差出人は、家族の連名でも個人でも構いません。もし夫婦の連名で喪中はがきを出す場合、故人の続柄は夫側から見た続柄となります。故人が妻の母だった場合には「義母」と書くようにしましょう。故人が配偶者の父や母である場合には差出人とは名字が違うこともありますから、名前だけではなくフルネームで書くようにします。

また、喪中はがきで悩ましいのが、薄墨で書くべきかどうかです。悲しみの涙で滲んでしまったことを示すため不祝儀袋では薄墨を使い、同様に喪中はがきも薄墨で書くという方もいます。しかし、本来は喪中はがきを薄墨で書かなければならないルールはありませんので、必ずしも薄墨でなくても問題ありません。

下記に、喪中はがきの文例をいくつか用意しました。喪中はがきは形式がほぼ決まっており、インターネット上でもテンプレートや文例が配布されています。普段は書くことのない喪中はがきの文章を一から考えるのは大変ですから、こうした文例を活用しましょう。

【文例1】

喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます
本年○月○日に○(続柄)○○(故人の名前)が ○歳にて永眠いたしました
本年中に賜りましたご厚情を深謝いたしますと共に
明年も変わらぬご交誼のほどお願い申し上げます
平成○○年○月○日
(遺族の住所・名前)

【文例2】

喪中のため年頭のご挨拶を失礼させていただきます
かねてより病気療養中の○(続柄)○○(故人の名前)が ○月に○歳にて永眠いたしました
ここに本年中に賜りましたご厚情を深謝致しますと共に
皆様に良き年が訪れますようお祈り申し上げます
平成○○年○月○日
(遺族の住所・名前)

【文例3】

喪中のため新年のご挨拶は失礼させていただきます
本年○月○日に○(続柄)○○(故人の名前)が永眠いたしました
新年のご祝詞を申し上げるところ喪中のため欠礼させていただきます
明年も変わらぬご交誼のほどをお願い申し上げます
平成○○年○月○日
(遺族の住所・名前)

上記の文例を見て、句読点がないことを不思議に思われる人もいるかもしれませんが、喪中に限らず儀礼的な挨拶状では句読点は使用しません。句読点や改行後の1字下げなどは、もともと活字を読みやすくするためのもので、相手に敬意を払うような挨拶状では使わないものとされています。

同様の理由で、喪中はがきは縦書きが基本です。横書きだとカジュアルな印象になってしまい、あまり喪中はがきにふさわしくありません。また、フォントも楷書体や明朝体などのフォーマルなものを使用し、儀礼的なものにすることが好ましいとされます。

【4】年賀状を出さない風習はいつから?喪中の豆知識

ここまで、喪中はがきについてご説明してきましたが、そもそも「喪中」とはどういったことを指すのでしょうか?

喪中とは、近親者が亡くなった際に、故人の死を悼んで身を慎む期間のことを言います。喪中の期間は1年間で、その中でも亡くなってからの49日間は、特に身を慎む期間として「忌中」と呼ばれます。

もともと、日本の喪中の考え方は神道と儒教に基づいています。神道では死は「穢れ(けがれ)」とされていて、その穢れを外に出さないために家の中に引きこもる風習がありました。この風習は、今でも「忌引」として残っています。

もう一方の儒教にあった風習は、「服」というものです。これは、近親者が亡くなって着飾る気にもなれないことを示すため、質素な服を着る風習です。これが今の喪服です。他にも音楽や舞なども楽しめない、祝い事をする気にもなれないという悲しみを表現しており、年賀状を出さない喪中の風習は「服」の延長線と言えるでしょう。

現在の日本では喪中の期間は1年とされていますが、明治7年に出された太政官布告では、父母や夫が亡くなった場合、喪中の期間は13ヶ月、妻や息子、兄弟姉妹の場合は90日、父方の祖父母の場合は150日など、細かく喪中の期間が決められていました。この法律は昭和22年に廃止されましたが、現在でも喪中の期間はこれが目安になっています。

ちなみに法人には喪中はないため、仮に社長が亡くなったとしても喪に服す必要はありません。年賀状も通常通りに出します。ただし社員のほとんどが親族などの家族経営の場合には、喪中として新年の挨拶を遠慮する場合があります。

ところで、喪中はがきを出す風習は、どのようにして始まったのでしょうか? それを知るには、まず年賀状の始まりから知らなくてはなりません。

明治14年に発行された「中外郵便週報」の記事には、「葉書をもって親戚旧故への年始の祝詞を贈る風習、年々いや増して」という記述があります。つまり明治14年にはすでに年賀状という風習が根付いていました。

しかし、年賀状に似た風習はすでに平安後期にはあったとされています。この頃には日本各地に「飛駅使」と呼ばれる手紙を受け取るところがありました。飛駅使は基本的に政治的な文書をやりとりするところでしたが、平安後期に藤原明衡がまとめた手紙の文例集「往来物」には、年賀の挨拶の文例がいくつか見られます。少なくとも貴族の間では、手紙で新年の挨拶をする風習ができていたようです。江戸時代から明治にかけて庶民の間にも手紙というシステムが広まってくると、年賀状は貴族以外にも広まっていきました。

こうして年賀状が普及した中、明治30年に英照皇太后(明治天皇の嫡母)が崩御しました。この際に官吏たちが喪に服し、「年賀状欠礼」を送ったのが喪中はがきの始まりと言われています。

このように喪中はがきは当初、官吏が皇族の喪に服すためのものでした。これが徐々に一部の階層にも広がっていき、喪に服しているときは「年賀欠礼」、つまり年賀状を書かないという風習になったとされています。昭和初期には風習として確立し、昭和30年代には年賀状と共に喪中はがきが一般家庭に普及しました。こうして喪中はがきは、年賀の挨拶を遠慮するものとして広く利用されるようになり、現代に至っています。

まとめ

喪中はがきは日本の風習であるものの、地域や宗教などによって考え方が異なる場合もあります。しかし、どのような場合にも故人を悼むものであることに変わりはありません。形式も大切ですが、喪中はがきのマナーの根底にあるものは、こうした気持ちであることを忘れないようにしましょう。